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Life is good

台湾在住のトリリンガルゲーマーの生活、ゲームレビュー、その他もろもろについてまじめにレポートする不定期更新thug life kind of ブログ。

遥かに仰ぎ、麗しの 感想

レビュー ゲーム

 こんにちわ、GraveFangです。

 

 めちゃくちゃサボってごめんなさい。

 

 いや本当に9月から学校がスタートしていろいろと忙しかったので、正直毎日の宿題に追われる日々だった。が、11月に入ってからは比較的に忙しくなくなりそうであり、ブログを更新できる機会が増える(はず)。

 

 閑話休題、今回はこの古いエロゲについて感想を書きますよー。

 

 このゲームはユニークな作品で登場キャラクターが本校編、分校編と別れており、本校編は健速氏、分校編は丸谷秀人氏が担当している。本校編、分校編では大まかのストーリー設定は一緒だが、主人公のキャラクター性が変わっている。本校編では主人公は物理的には精神的にも劇中最強だが、分校編では打って変わって精神面はタフで各キャラエンドでは強い意志を示すが、肉体的には一般人レベルになっている。ちなみにウィキペディアでは「本当の両親を憎んでおり本校・分校両方のルートで思い出す度に怒りを露にしている。」とあるが、分校編の榛葉 邑那(以下邑那)ルートでは自分の親に関しての憎悪はもはや消えたと言ってもいいレベルで、極々稀にしか自分の親について触れない。

 

 自分がこの作品を最初にプレイしたのはこの作品が発売されてから半年ぐらいたった頃だったと記憶している。そのときはまず本校編をやったが、「まあ、普通のエロゲだな」ぐらいな感想だった。しかし分校編をやってみると、これがドハマリしてしまって、9年経った今でも自分の心のヒロイン、邑那に月一、二回レベルで会っている(最初からプレイして邑那エンドに着くまで)。このレヴューも自分がなぜ邑那ルートが好きなのか、を解説するものである。なお、巷(某批評空間)では分校編をこき下ろす点数ばかりだが、私はあえての分校編上げ、本校編下げの人間である。なので、これを読んでいる画面の前のあなたがもし本校編上げ、分校編下げ派ならば、他人が自分と違うものを好きであることを理解し、自分と他人は各人の感想を持って良いという心持ちな人のみ先を読んでくれ。それ以外は「戻る」ボタンを押すことを強くおすすめする。さらにネタバレを含んでいるので(というかネタバレしかない)、まだこのゲームをやる前の人は、「ああ、この人は邑那エンドがおすすめなんだなぁ~」ぐらいに考えてくれたら大丈夫です。

 

以下ネタバレ

 

 私が邑那エンドが好きな理由として三つある。「登場人物の設定」、「読ませるストーリー」そして「主人公と邑那の愛」である。これらを一つづつ解説していこう。

 

 まず、「登場人物の設定」だが、これは邑那ルートに入ると間接的に他の分校編キャラクターの仁礼 栖香と相沢 美綺の設定やエンドについて触れるし、暁先生と上原かなでの恋の行方など、邑那ルート自体が分校編を総括的に見れるルートということもあり、さらに邑那自身が他のキャラクターをある意味看破しているため、彼女を通して各キャラクターに対してより深く理解することができる。相沢 美綺が実は人を読むことに長けていて、人の顔色をうかがいながら生きていることや、仁礼 栖香は他人に頼ることを恐れていることなどが挙げられる。

 

 次に「読ませるストーリー」があるが、これはストーリーテリングが素晴らしいという点を抑えたい。エロゲ言うのは結局のところプレイヤーを如何にストーリーで掴んで放さないかであり、ゲームによってはホームページ上のあらすじの時点でプレイヤーを引き寄せるものから、全キャラクリアしたけど全くストーリーを思えられなかったものまで様々だが、私はストーリー至上派なので、「終焉までプレイヤーを掴んで放さない」ものが「読ませるストーリー」である。邑那ルートはまず、主人公の邑那に対する疑問から始まり、やがて二人は惹かれ合い始め、恐ろしい真実を知り、それを乗り越え結ばれる、という非常に起承転結がしっかりしている。最初の頃の「温室に紅茶を飲みに行く主人公」と「温室にいる生徒」の状況も非常に楽しかったし、その後少しづつお互いに距離が縮まって行くところも、続きを読みたいと感じさせてくれる。邑那が囲い者にされていると知ったときはショックだったし、エンディングを迎え、すべてを知ったときには清々しい気持ちになった。そういった意味でも、プレイヤーの心を掴んで離さないストーリーであった。

 

 最後に、「主人公と邑那の愛」については、このゲーム全体に対する感想と受け取ってもらっても良い。私は邑那ルートでは、人を愛することについての「一つの解」であったと考えている(というのは愛の形は人ぞれぞれなもので)。劇中のに、邑那が主人公に対しておいしい紅茶の入れ方の解を問たとき、主人公はおいしい紅茶は紅茶の本質を見極めることが重要だと答えている。そして物語後半で邑那が囲われていることを知った後、暁先生の「群盲評象」のエピソードが結局は邑那ルートのすべてを語っている。一言で言えば、主人公は邑那の本質を愛したのだ。邑那には冷酷なビジネスマンとしての一面があり、美術を愛する一面があり、人を愛したいと思う一面があり、人を信用出来ないと憎いんでいる一面もある。しかし、主人公は彼女のすべてを受け入れた上で、彼女を好きでいることを選んだ。ただ、それだけでよかったのだ。主人公は彼女と比べればいろいろと劣っているように見える。しかし、邑那エンドで主人公の心理描写の一つで、

 

「僕は王様は裸だ以上のことを、邑那に言えないかもしれない。それでも、邑那があの老人のようにならないために、僕はきっと必要なんだと思う。」

 

 そう、主人公と邑那はある意味お互い欠けたピースのようなもので、主人公は邑那を補完し、邑那は主人公を愛し続けることによって主人公を補完している。

 邑那というキャラクターも非常に良くできている。繊細で脆いと思えば、恐ろしいまでの冷徹さや辛辣さを持っている。主人公が何度も邑那の心を読もうとするも、ことごとく失敗しては更に惹かれていく(ああ、そうやって私は釣られているのですね・・・)。でも、本当は人を愛したいと思っていて、主人公との出会いを通してパーソナルスペースの中に他者の入れる余地を作りはじめたのも印象的だった。

 最後に、邑那ルートは全部を通して人を愛することの素晴らしさを感じることができる、素晴らしいルートだと思う。

 

 以上の点から私は何度も何度も邑那ルートを訪れては傷心しては癒され、エンディングを繰り返すのであった。

 

今日はこんなところですかね。ではまた!

 

遥かに仰ぎ、麗しの ビジュアルファンブック

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